佐賀県鹿島市には、日本三大稲荷の一つの神社があります。
「祐徳稲荷神社」はとても大きな神社で、建物全体の見た目の美しさに感動です。
とても素晴らし所なのに、佐賀の人たちは慎ましやかに生活する県民性なので、この素晴らしい神社があっても自慢することがありません。
そのため佐賀県に「有名な神社」があることは、あまり知られていないようです。
先日、佐賀県出身でありながら、初めて「祐徳稲荷神社」に訪れたのですが、そのすごさに圧倒されました。
これは京都に並ぶくらい素晴らし場所です。
こんなに素晴らし場所なのに、佐賀県では大々的に全国にアピールしていないので、観光客も少なめ。
だから、私が行った時は桜の時期なのにゆっくり、参拝と見学ができました。
写真で人が写り込むというのも全くなく、ゆーっくり、ゆっくり見学ができます。
日本人の観光客はほとんどおらず、韓国の方が何人か来られているのを見ました。
佐賀県はマンガ「ソンビランドサガ」の舞台となった場所なので、聖地巡りで韓国の方が来られていたのかもしれません。
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本殿の紹介
この橋を越え門をくぐると神社の中に入ります。
この時点で素晴らし場所なのですが、中も凄い!
こちらは先程の橋の横の風景です。
太い木材で土台が組まれていますが、整った柱にも感動します。
橋の下は池になっているのですが、中もキレイに掃除されていました。
水が澄んでいて、まめに掃除がされているようです。
池の中には小銭を投げてはいけないのですが、結構な数のお金が投げ込まれていました。
それがキラキラと光ってキレイだったのですが、投げちゃダメなので、ご注意を!
多分お金があると、そこの部分の掃除が難しくなるからではないかと思います。
神社独特の形と、金と赤の色合いが美しい建物です。
階段の手すりは太く、歩く場所も広くとられていて、全てが大きく迫力を感じられます。
絵馬が整って並んでいるのが、日本の美しさを感じられます。
観光が盛んな神社だと、ここまでキレイに整って絵馬が並んでいることは無いと思います。
人が少ない佐賀県だから、このように整った絵馬を見れるのでしょう。
大きな階段を上るとお参りができる場所がありますが、装飾が全て細かなデザインが美しい!
天井にも装飾があるのですが、本当に建物全体装飾だらけで、一日いても飽きない場所です。
壁面にもたくさんの装飾がありますよ。
上から見る景色も素晴らしいんですよ。
4月は桜の時期ですが、色んな木々があるのでどの季節に来ても、季節を感じられる場所です。
木の葉の緑と、建物赤のコントラストが美しい。
木の柱をまじかで見て欲しい!
大迫力ですよ!
一本一本が太くて、こんなに贅沢に木を使えるの?と思うほど、たくさんの木が使われています。
しかも高さがあるので、これをどうやって組み立てるのかを考えるだけで、日本の技術の素晴らしさも実感できます。
奥の院・その他写真
佐賀県の「祐徳稲荷神社」は、日本三大稲荷に数えられます。
本殿の詳細を紹介しましたが、その奥には「奥の院」に向かって、赤い鳥居が続き、有明海が一望できる景色が広がる大絶景を楽しむことができます。
私が訪れた時は特別なイベントがなかったので、人は少なかったのですが、初詣、その他季節のイベントの時期は参拝者も多い可能性があります。
イベントの時期は、私が体験した以上の素晴らしい体験ができるかもしれませんので、チェックして訪れてみてください。
ただし、イベントがない時期はゆっくり参拝と見学ができるので、いつ行っても楽しめる場所であることは間違いありませんよ。
Googleマップより「祐徳稲荷神社」の様々な写真をご紹介します。
私が見た景色とは違う景色を体験した方もたくさんいらっしゃるようです。
Googleマップの「写真」で見ると、鮮明な写真が見れますので「こちら」をタップしてください。
場所
佐賀県鹿島市古枝乙1855
駐車場:佐賀の広大な大駐車場完備
「お稲荷さん」と「稲荷神社」
一番身近な神様といえば「お稲荷さん」ではないでしょうか?
田舎の多くのご家庭で「お稲荷さん」を祭っていますよね?
「お稲荷さん」と「稲荷神社」にはキツネの見た目をした「神様?」が祭られていますが、実は神様とは違うようです。
「お稲荷さん」や「稲荷神社」の「稲荷」には、「稲がなる」という意味合いがあります。
昔、お餅を的にして、弓を打ったらその餅が白い鳥になり、稲がたくさん育った場所に案内したという背景があるようです。
そして、稲を作る時期には、キツネが姿を現すことが多く「キツネが稲の成長を見守った」との人々の思いが、神の使いだと信じられてきました。
そのことから「お稲荷さん」や「稲荷神社」に祭られるようになったそうです。
神社は全国に8万社ほどあると言われていますが、そのうち3万社以上が「稲荷神社」とのデータがあります。
日本人は稲によって、支えられたことから、今でも大切に祭られているのでしょう。